お盆の頃というのは、悲しい出来事が多い気がする。
広島と長崎への原爆投下、終戦記念日。
茹だるような暑さと灼ける陽射し、喧しいほどの蝉しぐれ。
明るい季節だけに、際立ってそれを意識してしまう。
1985年、夏。
突然のニュースが、日本中を深い悲しみへと突き墜とした。
日本航空123便墜落事故だ。
以前より関心はあり、資料や本もかなり読んだ。
知識が深まるに連れ、いつかは現地に足を運びたいと思い始めた。
この足で、あの夜、山に入った救助隊と同じ轍を踏みたかった。
一瞬にして520名もの命を奪った現場を、この目に焼き付けたかった。
本庄児玉インターを降り、国道462号を西行。
「この上もヘリコプターがひっきりなしに飛んでね。気の毒で仕方なかったねぇ」
途中、供え物を買った酒販店のおばさんが話してくれた。
上野村までも、山間部に入ってから相当な距離を走ったが
御巣鷹の尾根までは、ここからさらに山の奥へと入ってゆく。
看板に「御巣鷹」の文字が目立つようになってきた。
尾根へのアプローチは、近年、上野ダム建設に伴い真新しい道路へと生まれ変わり
場所不相応な急勾配の高規格トンネルの連続で、ぐんぐんと標高を上げてゆく。
2008年に発生した土砂崩れの被害範囲は、思っていた以上に大規模なもので
遺族・関係者のみ通行が許可された仮設歩道は、役目を終えて骨組みを残すのみ。
ここに来て、長いこと訪問を望んでいた場所へ向かう高揚感は鳴りを潜め
現地を目前にして、例えようのない重苦しさに取って替わられていた。
今年から道路が延伸され、登山道が大幅に短縮されたが
それでも急峻な登山道をしばらく登らなければ現地には辿り着けない。
以前の登山道は言うまでもなく、この現道すら事故後24年が経過し
高齢となった遺族の方々の参拝には、さぞかし苦労が多いことと思う。
昇魂の碑に手を合わせ、V字溝を眺める。
多くの犠牲者を出した痛ましい事故を、この山が受け止めたのだ。
碑の裏手には、祭壇を兼ねた慰霊小屋があり
犠牲者の方々の生前の写真や思い出の品が無数に飾られていた。
あの日、確かにここで事故はあって520名もの尊い命が奪われた。
胸が締め付けられる思いがし、小屋には長くいられなかった。
訪れてよかった。
そして当分、ここを訪れることはないだろう。
最低限の写真のみ撮影し、ここに掲載させて頂いたことをお許しください。
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