宮ヶ瀬ノスタルジア

神奈川県の水瓶宮ヶ瀬ダムは、国内でも最大級のダム事業として1991年に着工
1994年に堤体が竣工し、翌年に試験湛水が開始され、1998年に満水位に達した。

よく宮ヶ瀬~ヤビツ峠ルートをツーリングで使わせて貰っておきながら
これまで、湖に没した遺構をきちんと辿ったことがなかった。

ここは裏ヤビツへ向かう県道70号が分岐する三叉路(宮ヶ瀬北原)だ。

この手前に、付け替え道路(現在の湖岸道路)が全通するまでの間
水没した集落から付け替え道路既設区間までを繋いでいたバイパス路が残っている。

人文社の地図より(1990年発行)

この赤丸で囲った部分が、件のバイパス路だ。
水没前の旧道から、現在の現道までを繋いでいるのが見て取れる。

水没前の宮ヶ瀬は幼い頃に車で走ったことがあり、既に住民が立ち退き殺伐とした景色の中を
このバイパス路を通って現道まで登ってきたのをよく覚えている。
幼心ながら、ダムに沈むということを目の当たりにして印象に残っている。
当時の動画(土山峠~宮ヶ瀬北原)がありました。→ニコニコ動画

久しぶりに地図を眺めると、グリーンカオト(バス停)に胸がきゅんとした。

祖父から貰ったさらに古い人文社の地図(1983年)より

まだ民家が残っていて、ガソリンスタンドもコスモではなく丸善(現コスモ)になっている。
もしかして、グリーンカオトのカオトは川弟(川弟川)のことなのかな。

残念なことに、今日の宮ヶ瀬湖の貯水量は満水位に近い。
バイクを降り、そう遠くないだろう湖面まで歩きはじめる。

結局、都合10年間使われたこのバイパス路と1985年の虹の大橋開通以後
通行止になってしまった落合方面の旧県道64号の詳細は興味深いところ。

そして・・・

ここまで!

何もかも、湖に沈んでしまったなぁ。

人文社(1983年)より

次に向かったのは、湖面から露出しているという噂の旧八丁橋。
地図では、東端にギリギリ載っている沢を跨ぐ小さな橋だ。

鳥屋から路地を入り、湖岸の細い1車線の道をしばらく行くと現役の八丁橋が登場。
短くはないスパンで一跨ぎしている谷を覗き込んでみると・・・

出た!

旧八丁橋!

昭和を感じさせる欄干がいい感じね。

辛うじて、辛うじて湖面にその姿を留めている。
ギリギリすぎて、もう湖面に浮いているかのようだ。

水位が低ければ、おそらくこのあたりに幻の八丁の滝が姿を現すらしいけれど
今日の水位だと・・・完全水没。

最後に、土山峠へ周り旧道を探してみたが、峠を越えてすぐ右手
動画にも写っていた鉄板の擁壁しか確認できず、その先はもう湖面。

旧道探索は諦め、すぐ近くにあった堤川林道へ。

荒れ放題!

標識が味を出しているね。

玉肌の湯は既に廃業しており、介護施設に生まれ変わろうとしていた。

よくダムによる観光開発という言葉を耳にするけど
あれってダム開発の負の部分を覆い隠す隠れ蓑だよね。

宮ヶ瀬湖に限らず、個人的にダム湖には暗いイメージを抱いてしまう。
うまく説明できないけれど、ダム湖ってなんだか怖いと感じるのよね。
そういう勝手な理由で、ダムによる観光開発は本当に難しいと思うな。

人文社(1983年)より

宮ヶ瀬湖はその水利が神奈川県に大いに貢献していると理解しているけれど
やっぱり沈んでしまった旧宮ヶ瀬地区へのノスタルジアはあるよ。

人文社(1983年)より

今は宮ヶ瀬ダムにより大きく変貌を遂げてしまった中津渓谷。
かつては関東の耶馬溪とまで言われたこの渓谷も、一度見てみたかったな。

2020年現在、玉肌の湯は介護施設にじの森に生まれ変わっています。

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コメント

コメント一覧 (2件)

  • 水力発電所の前の渕辺りで良く泳いだなぁ。坂を登り切り左に見える小学校の校舎、発電所に渡る吊り橋、バスロータリーにあった食堂やオリに飼われていたイノシシ…日曜日の朝、本厚木駅北口バス乗り場でバスを待つチロル帽、リュック、登山靴の人、人、人…

  • >とん漬け 秦野屋さん
    当時の情景が浮かぶようなコメント、ありがとうございます。
    記憶にあるかないかの幼少期に1度訪れただけですが
    ダムができる前の景色をきちんと見ておきたかったですね!

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