欧州一人旅 ノートルダム大聖堂篇

ノートルダム大聖堂は、聖母マリアに捧げられ名付けられた教会堂である。
ノートルダム(Notre-Dame, 英語ではOur Lady)はフランス語で
「私達の貴婦人」という意味で、聖母マリアを指している。
ノートルダムを冠した教会堂は世界各地のフランス語圏の都市に建てられてきた。

ストラスブールの旧市街は世界遺産に認定されている。
その中心に立地するこの大聖堂は、まさにストラスブールの象徴だ。

その大きさは、超広角レンズでなければ収めることができないほど。
日本にも教会はあるが、大聖堂と呼ばれるような規模の大きなものには触れ合ったことがない。

巨大な体躯に不釣り合いな扉を潜ると、屋外の雑踏がすっと消え
ひんやりとした聖堂内は言葉を失うほど荘厳だった。

いい歳をして、その荘厳さに圧倒され意図せず涙が出てきた。
何かに圧倒されて泣くなんていう感覚ははじめてで戸惑った。

これではみっともないので、落ち着くまで椅子に腰掛けていたのだけれど
とても居心地がよく、しばらくそうやってぼーっと過ごした。
周りを見回すと、祈りを捧げる人やただじっと座ってる人がいる。
こうやって、永い間人々の心の拠り所になり続けているんだな。

凄いな。

無宗教の自分でも思わず祈りを捧げたくなるような
ここに身を置くことで心が浄化されてゆくようなこの力。
神聖さや信仰心、歴史の重みといった輪郭のぼやけたそういうものが体感として理解できた気がする。
この感覚は体感しないとわからなかったな。

聖堂を出て正面右手脇に回ると、展望台への入口がある。
4.6ユーロ(約500円)を払って先へ進むと、300段超の螺旋階段が始まった。

格子から垣間見える景色の俯瞰度がどんどん上がってゆく。
そして疲れる!

これは高齢者や身体の不自由な人は無理だ。
外壁に取り付けてあったリフトで昇るんだろうか。

昇ってみれば想像以上の高さで、350年前に完成した建物とは思えない。
展望台からはストラスブールの街を一望のもとに眺めることができる。

もう見た者はいない350年前の景色を、この大聖堂は見てきたんだなぁ。

こちらが正面側。
大聖堂前の広場に、クリスマスマーケットの屋台が並ぶ。

豆粒のような人がちろちろと動いているのを眺めるのは
精巧に作り込まれたミニチュアを見ているようで飽きることがない。

大きな犬を発見!

下りは上りとは反対側にある階段で下まで降りる。
目が回って、段を踏み外しそうになるよ。

君はちゃんと見えてるかな?

さっき見下ろした通りから大聖堂を振り返る。

クレベール広場では、マーケットが開かれていた。

食料品、花、雑貨などいろいろな出店が出ていて賑やかだ。
あと少しで広場ではクリスマスマーケットが開かれ、クリスマス一色になるんだろう。

夜の帳が下りた街を歩くが、今ひとつ現実味がない。
RPGの世界を歩いているような不思議な感覚だ。

“Homme de fer”はトラムのターミナルになっていて
宿へ向かうために、ここで西行きの路線へと乗り換える。

本日の宿は、ユースホステル「Auberge de jeunesse René Cassin」
なぜかわからないけれど、中心部の宿はほとんど満室でここしか空いてなかった。

予約は日本からネットから済ませた。
朝食付で総額19.7ユーロ(約2150円)という安さよ!
ほんと、旅人の味方だ。

“montagne verte”でトラムを降り、ここから徒歩で宿へ向かう。

はじめて泊まる宿へ向かう心境って、期待と不安が交錯するものだけど
海外だとその度合いもひとしおで、不安の方がだいぶ大きくなる(笑)

到着!

ユースホステルは大賑わいで、中学生くらいの学生たちがわんさかおるよ。
こちらのユースホステルは活気があっていいね、当たり前のようにみんな利用している。

同室者は、ルーマニア人のおじさんと日本人の若者!

ブリュッセルからやってきたというルーマニア人のおじさんはとてもいい人で
いろいろ話してくれたがどうにも言葉がわからず自分の語学力の無さがもどかしい。
ルーマニアで、チャウシェスクと国民の館しか思い浮かばない知識の乏しさも恨まれる。
おじさんとしても、まさかそんな重いネタを出されて盛り上がるはずもない。
日本軍の戦争犯罪の話題を持ち出されて返答に窮してしまうのと同じだ。

結局、おじさんがどうしてフランスにいるのかはわからずじまいだった(笑)

夜になって仕事から戻ってきた厚木出身の日本人(以下、厚木くん)は
最初にいたパリから、先日ストラスブールに来たらしく
大学を出てフリーターになったが、だったら海外にいてもいいんじゃないかと渡欧したらしい。
ワーキングホリデーと言えばいいのか微妙なところだ。

資金が心許なくなってきて職を探したが、やはり言葉ができないと
門前払いを喰らうことが多いようで、パリより地方ではそれが顕著。
ようやく”OSAKA“という日本料理店で雇って貰えて、厚木くんはそこで働いている。
この”OSAKA“の経営者が中国人だと言うのだ。

なるほど。
Sushidoも、中国人オーナーだったのだろうな。

厚木くんとは、人生について語り合い夜が更けていった。
人生ひとそれぞれ、自由に生きればいいよ。

2020年現在、ユースホステル「Auberge de jeunesse René Cassin」は別の場所に移設されたようです。

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