台湾ノスタルジア 金瓜石篇

今日は、金瓜石とその先の濂洞に半日を割き、散策することにした。
手前の九份があまりに有名な観光地なため、ここまで足を延ばす人は限られるものの
俗化された九份とはまた異なった独特の雰囲気に魅了される人は多いと思う。

たまたま乗ることになった自強號は、南アフリカ製の機関車と
韓国製の客車という、まずひらめかない異種混合っぷり。
重量のありそうな車体を引きずるように台北駅を後にすると、昨日見た風景が車窓を流れてゆく。

瑞芳駅からの金瓜石行バスは、前回同様やはり運転が荒い・・・ん?
よく見てみると、前回も乗車した運転手のかたでした。

ようやく念願の黄金博物園区に到着!
バス停に止まるやいなや、運転手が誰よりも早くバスを飛び出し
公衆トイレに駆け込んだのを見て、思わず笑ってしまった。

日本統治時代から続く鉱山町だった金瓜石は、金山の閉山と共に寂れたが
近年、黄金博物園区として一帯が整備され観光スポットとなった。

園内に入ると当時の建物や日式建築が数多く残され、何より広い広い。
これは、丸一日楽しめるぞ。

本山五坑の体験坑道へは、別料金(50NT)を払うと入ることができる。
ヘルメットを渡され、slippery(滑りやすいですよ)とアドバイスを受けた。

資料館棟はとても充実している。
往時を偲ぶ写真やアイテムがたくさん展示してあり、興味深かった。

極めつけは、220キロの金塊!
霊験あらたかな金塊を存分にすべすべしておいた。

黄金博物園区で一番見たかったのが、この黄金神社。
日本統治時代に建立され、当時は山神社と呼ばれていたそうだ。

博物園区でも、最も離れた山の中腹に位置しており
ここまで階段を登ってくるだけでもけっこう疲れる。

現在、金瓜石の町を見下ろすこの高台には、基礎が残っているだけだが
こんな異国の地に日本人が住み日本だったのだと思うと、感極まって先人に思わず敬礼したくなった。

博物館の土産コーナーは、金箔が散りばめられた烏龍茶漬の甘梅や
黄金のストラップほか、ゴールデングッズが溢れていて購買意欲がそそられる。
ゴールデンにも関わらず上品で、センスがよく思わず買いたくなってしまう。

博物園区を離れ、金瓜石の町をぶらぶら散策する。
時雨中学というとても風流な名前の中学校(ずいぶんと立派な建物)や
悲情城市のロケに使われた八角堂(理容室跡)なんかが点在しており飽きることがない。

十三層選礦場へ行こうと、金瓜石から先の濂洞まで行くバスに乗ろうとするが
日本語堪能なガイドのおじさんによると、極端に本数が少ないらしい。
仕方なく、ヒッチハイクを試みるが停まってくれない。

仕方がない。

貧乏旅行のルール、公共交通機関を使うという禁を犯してタクシーを拾い
「この先には何もないよ」と譲らない運転手を、英単語とジェスチャーで
十三層選礦場まで行って九份まで戻りたい、と情熱と根性で説き伏せた。
言葉が通じないというのは何とも不自由だ。

結局、300NT(1200円)で行ってくれることになった。
日本と比較するとタクシー運賃も安くて助かる。

この運転手のおじさんがいい人だった!

いい写真が撮れる、と高台の展望台へ連れてってくれ、その後立派な寺(廟)へ。
そこで、流暢な日本語を喋るお爺さんに金瓜石の歴史の説明をお願いしてくれた。

金瓜石の後ろにそびえる山がカボチャのように見えることから
カボチャは台湾では金瓜というので金瓜石となった、とのことだった。

お年寄りは本当に日本語を喋れるんだ、とちょっと感動した。

十三層選礦場は威風堂々たる姿で佇んでいた。
陰陽海を間近で見れたのも感動!

親切に案内していただいて、ありがとう!

続く。

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