能登原付ツーリング 中篇

ツーリングは、いよいよ本日からが本番。
飛騨高山から国道41号を北上し、一気に能登を目指す。

普段は先を急ぐので数河峠経由で富山平野へと扇状地を走り下るところだが
今回は久しぶりに高山本線沿いの国道360号経由を選んでみる。

2004年の大水害で被害を受けた沿線は改修により、立派な道路へと変わった。
立派な飛越トンネル手前、往時の雰囲気を求めて旧道へ逃げ込んだ。

素晴らしい廃道風景。
この先は崩落で完全に進めなくなっていた。

ようやく里に下りてきた。
全国的に有名な「終わら風の盆」の舞台、越中八尾を通り、そのまま高岡方面へ。

国道472号を、北陸の幹線である国道8号へ向かう。
ここ砺波平野は、散居村が有名。走っていると民家が点在しているのがわかった。

散居村(さんきょそん)は、広大な耕地の中に民家(孤立荘宅)が散らばって点在する集落形態。一般的には散村(さんそん)と呼ばれる。集村と対比して語られることが多く、一般には集村が普遍的で散村は比較的少ないと考えられているが、実際には世界的に広く見られる集落形態である。

Wikipedia「散居村」より

高岡を越え、氷見バイパスで氷見市入りだ。
立地的には、ここがいわゆる「能登半島の付け根」に当たる。
今回は、氷見からぐるっと能登半島を反時計回りに周遊しようという魂胆だ。

以前、車がスタックしたことをご存じの従業員の方はいないだろうとお礼の声かけはせず
お世話になったファミリーマートまとば田鶴浜店で買い出しをして、感謝の気持ちに換えた。

少し前までは奥能登まで鉄路を延ばしていたのと鉄道も、現在はこの穴水駅が終着駅。
国鉄からの移管時は利用客も増加し、第三セクターの成功例とまで言われたのと鉄道だが
経営状況は非常に厳しく、持て余した構内に人々で沸いたであろう往時を偲ぶ。

個人的に地域振興の基軸は時代が変わっても鉄道だと願っているのだけれど
半島から鉄道が消えてしまっては仕方ない。

気候のうららかな能登は、イメージを覆すような明るさだ。

すぐそこに海を感じながら走るのに、カブという選択はぴったりだった。

能登特有の黒瓦の集落をとことこと進む。
地方に行くとよくあるキリスト看板を目にして、遠くへ来たと実感が沸く。

何も考えず、海を眺めながらカブを走らせる。

とその時、廃墟センサーが反応した。

能登かつら崎ユースホステル。

1985年に閉館をした、能登かつら崎ユースホステル。
昭和30年代半ば~昭和40年代にかけて、最後の秘境として注目され
全国から大勢の観光客が集まった能登半島ブームの時代には、大いに賑わったのだろう。

わんちゃんがいたので、ちゃんと管理されているみたい。

往時の雰囲気をそのまま残す鵜川駅

鵜川駅跡に立ち寄る。
少し前までは、この風光明媚な風景の中を単行列車が走っていたと思うとロマンそのものだ。

バラストもそのままに、ホームも健在だ。

宇出津駅跡は、駅舎を活かしてバスターミナルとなっている。
奥能登の中核都市だけあって、この周辺はそれなりに活気があった。

能登半島の代名詞的存在、見附島。
どうやってこんなユニークな形の島になったのだろうね。

のと鉄道蛸島駅跡は、どこだかわからず通り過ぎてしまったけれど
ちょうど、蛸島の秋祭りに当たって町全体が賑やかだ。
意外にも若者がけっこう参加しており、色とりどりの衣装や山車(キリコというらしい)で華々しい。

はるばるやってきたぞ、禄剛崎!

能登半島の先端、禄剛崎。神奈川から原付で長かったー!
この場所は狼煙(のろし)という地名で、旅情がこの上なく掻き立てられるね。

おや?

脇の田んぼから無数の視線を感じて目をやると、やたらハイテンションなかかしたち(笑)
賑やかでけっこうけっこう。

いよいよここからは復路だ。
能登半島北回り奥能登絶景海道を通り、本日の宿泊地輪島を目指す。

日が傾きかけた白米千枚田を通り過ぎ、

一度は乗ってみたい雑座行きのバスに遭遇!

輪島市街も通り過ぎ、西保方面へ県道を走る。

本日のお宿「民宿漁火」に到着。

よくここまで頑張って走ったね、とカブを褒める。

夕飯は、とれたての魚を使ったお刺身など、すべて新鮮で絶品!
自分ともう1組ご夫婦が泊っており、日本酒を片手に話が弾んだ。

2015年、能登かつら崎ユースホステルは、海の家かつらざきとして復活を遂げました。

2020年現在、宇出津駅跡は「コンセールのと」となり、往時を偲ばせるものは何も残っていません。

  • URLをコピーしました!

コメント

コメントする