突拍子もなく舞い降りた三連休。
天気予報は雨、・・・しかし、この貴重な連休を逃すわけには行かない!
前日夕方に金沢市内の宿に予約を入れ、仮眠を取って深夜に自宅を出た。
相模湖まで、車通りも疎らな国道16号を流す。
中央道に乗ってしまえば長野は近い。
国道158号で安房へ向けて高度を上げてゆくと、雨粒がシールドを打ち始めた。
日本海側からやってきた雨雲が、背の高い北アルプス山脈に阻まれ滞留するのか
これまでの経験上、この国道158号で雨が降り始めるパターンは多い。
高山まで下ってゆかずに、平湯から神岡方面へ北上。
ちょっと脇へ逸れ、開けた河岸を新穂高連山の山懐へと分け入る。
あいにくの天気で新穂高ロープウェイはパスしたが、駅からしばらく下った河岸に「新穂高の湯」がある。
写真で見るのとはずいぶん印象が違うものだ。こういうギャップも旅の醍醐味。
さて入浴しようと近づくと、看板の下に小さな張り紙が。
誠に勝手ながら新穂高の湯は、湯温低下のため冬場の入浴に適さなくなりました。
神岡は、神通川流域で発生したイタイイタイ病の原因となった神岡鉱山とともに発展した鉱山町。
2006年11月末日まで、神岡鉄道というローカル線が通っていたのだが現在は廃止され
終点だった旧奥飛騨温泉口駅は、駅名標が取り外されている以外そのままの形で残っていた。
駅に列車が来なくなっても、春はいつも通りやってきて、ホームには桜の花が散っていた。
駅舎と隣接した喫茶店あすなろで朝食を食べる。
やっぱり岐阜には喫茶店が多く、生活の一部として溶け込んでる感がある。
神岡城という城があったので、城下町だったっけ?と思ったが、
この天守閣は、昭和45年に三井金属鉱業が記念に建てた模擬天守とのこと。
城下町は城下町でも、三井財閥の企業城下町というわけだ。
よい撮影場所がなく、町を見下ろす高台にあった墓地から撮影したが
おそらく鉱山という職場柄、殉職された方も少なくはなかったのだろうと感慨に耽る。
現在ではニュートリノの先端研究施設、スーパーカミオカンデで有名なこの町。
町を歩いてみれば鉱山町らしく、炭鉱住宅があり、鉱山施設あり、と往時を偲ばせる。
現在も精錬を中心に操業を続ける神岡鉱山を後に、国道41号を富山へ向けて走る。
途中、神岡鉄道の廃線跡がトンネルから顔を出したり消えたりしながら、併走する。
神岡鉄道の始発駅だったJR高山本線の猪谷駅。
ちょうど、富山行の単行気動車がエンジン音を轟かせ発車して行った。
猪谷駅もかなり寂れていて、神岡鉱山からの硫酸輸送がトラックに切り替えられ
旅客輸送だけでは当然やってゆけるはずもなかったよな、と納得させられた。
飛騨の山間から富山市街へ下りてくると、雪を被った立山連峰が背後に聳え立っていた。
さて、JR富山港線が廃止になったのを専用線として引き継ぎ
市街中心部は路面電車へと改良した富山ライトレール(LRT)が走っている。
バイクは駅前に停め、200円を払って洗練されたデザインの車両に乗り込む。
ドアが閉まると、電車は静かなインバータの音を伴い滑るように走り出した。
超低床車両、非接触式ICカード、バリアフリー化された車内、すべてが次世代だ。
このLRT、ヨーロッパでは既に至る都市で導入されているが
日本でも改めて都市交通の核となるインフラとなる得るのではないか。
地下鉄のように階段やエスカレータを昇降せずに済むし、バスのように手軽に使え
駅前に乗り場を造れば、増加の一途であろう交通弱者のかたにも優しい。
続く。
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