九州カタルシス 後篇

ありがちなツアーのような、ガイドブックを辿る旅は昨日まで。
熊本フェリー始発便で島原へ渡り、まず向かったのは・・・

1991年6月。
死者行方不明者43名を出した雲仙普賢岳の大火砕流に巻き込まれ、焼け爛れた旧大野木場小学校被災校舎。

日本の災害史に残る被害をもたらした大火砕流は、2005年に現場の土中から発見された
報道関係者の方が遺したテープに記録され、生々しい当時の状況を今に伝えている。

解かれた封印 雲仙・大火砕流 378秒の遺言

この映像は、雲仙岳災害記念館で観ることができるそうだ。

旧大野木場小学校から「定点」を望む。
定点からは火砕流の様子がよく観察できたため、その名の通り報道最前線となっていたが
6月3日の大火砕流で、著名な火山学者や報道関係者らが大火砕流の犠牲となった。
避難勧告のために来ていた警察官や消防団員までもが巻き込まれた。

火砕流が通った跡は今も生々しく残り、おそらく未だ危険なためだろう
無人化施工と呼ばれる遠隔操作で、重機が治水工事をしていた。

風が強く、外へ出ると雨が横に叩き付ける。
悪天候が重なって今にも火砕流が襲ってきそうな不穏な雰囲気で、長居したくない。

校庭に残るいちょうの木。
大火砕流で焼けたかに見えたが、見事また芽吹いたとのこと。

次に向かったのは、道の駅みずなし本陣「土石流被災家屋保存公園」

完全に埋まっている。

そろそろ気分も滅入ってきた。
少しは観光の要素を入れねばと、武家屋敷跡へ向かおう。

趣きがあるね。
天気は優れないけれど、本州とは違う南国を感じ取ることができた。

島原半島を北上、一路長崎へ。

初めて訪れた長崎の街は、独特な印象を受けた。
何がと問われても明確な答えは出ないものの、日本でありながらそうでないような不思議な感覚。

これが出島か。
社会科の資料集で見た扇状の形の面影が残っている。

ここから日本は開かれたんだね。

今夜の宿泊は福岡だったので、長崎名物ちゃんぽんも老舗に並んでいる時間がなく
まさかのリンガーハットにて。

いつもと同じ味に安心感を覚えた(泣)

志免鉱業所竪坑櫓

福岡では、楽天地のもつ鍋や博多ラーメンを楽しんだものの画像データを上書きする失態。

思い出の取り扱いは慎重に。

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