一気に展望が開け、カーブの先にはアスピーテラインの玄関口、緑ヶ丘が見えた。
標高1000mを超える台地の中ほど、色彩に溶け込むようにそれは林立していた。
旧松尾鉱山。
脇を道が通っているにも関わらず、なぜかそこだけスノーシェルターで覆い隠され
気を付けていないと、この巨大廃墟群に気付くことなく通り過ぎてしまいそうだ。
1914年の創業以来、東洋一の硫黄鉱山として活況を呈し、昭和20~30年代の最盛期には
従業員4000余人、人口15000人を数えた国内有数の鉱山だった。
従業員用の集合住宅をはじめ、学校、病院、劇場の福利厚生施設など。
当時の日本における最先端の施設を備えた近代的な都市がこのような高地に形成され
繁栄期には雲上の楽園と呼ばれた。
正直、訪れる前まではもっと陰湿な雰囲気だとばかり思い込んでいたけれど
その予想を大きく裏切り、この廃墟群はどことなく明るい雰囲気を放っていた。
それでも、近くに寄ると外壁を始めあちこち瓦解が目立つ建物は
この廃墟群が風雪に耐え抜いてきた永い歴史を物語る。
劣化したコンクリートを踏み抜かないか、頭上から何か落ちてこないか
ひやひやしながら緑ヶ丘アパートの階段を上る。
建物内部のレイアウト自体は、各地に見られる昭和後期に建てられた大規模団地のそれと
さして変わりがないように感ぜられるのは、それだけ松尾鉱山が時代を先取りしていた証なのかしら。
屋上に出ると、360度開けた八幡平の山々が眩しい。
こんな場所にも、かつて多くの人々が暮らしそれだけ物語があったんだな。
寂しさと充足感がないまぜになりながら、この東北の軍艦島を後にした。
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