足尾へ

流行りのように叫ばれる環境問題、もとい「環境ビジネス」に食傷気味の昨今
日本の公害問題の原点と言われる足尾銅山へ足を運んだ。

通洞駅から遠望できる鉱滓ダム「簀子橋堆積場」には、鉱毒を含む赤褐色の水が貯められ
一部では「伝説の赤い池」と呼ばれているらしいが、古河電機工業の私有地のためにアクセスは不可能。

足尾は、古河財閥発祥の地だ。

次の足尾駅は、その鄙びっぷりが理想的なローカル線の駅だった。
その出で立ちには、グッと来るものがある。

と思えば、この雰囲気を活かし「足尾駅祭」というイベントが毎年開催されているようで
ボンネットバスなどが並ぶセピア色の駅前写真を見ると、とても平成、それこそ令和とは思えない。

わたらせ渓谷鉄道、通称「わ鐡」の現役線は足尾の次駅、間藤まで。
ここからが今回のメインである間藤~足尾本山駅までの休止線で
1989年に休止になったまま、実質的には廃線となっている区間だ。

間藤駅は、国鉄時代(当時は足尾線)に鉄道紀行作家の故宮脇俊三氏が
国鉄完乗を果たした駅としても有名で、それを伝えるポスターが貼ってあった。
このことは、氏の処女作である「時刻表2万キロ」に詳しい。

アスファルトで埋められた踏切を過ぎると、渡良瀬川を渡る鉄橋が現れた。
実際に渡り始めると思ったより高く、下を見ないようにして何とか渡る。

茶褐色色の渓谷沿いに赤錆びた鉄路は続き、脇には鉱山住宅が行儀よく並ぶ。

とっくに役目を終えた腕木式信号機がトンネル手前にまだ残っていた。

トンネルを抜けると、ネットや書籍で見慣れた風景が飛び込んできた。

足尾本山駅だ。

やっぱり本物は違う。
実際に見ると、気圧される。

銅山が閉山され、採掘を止めた今でも現役の施設として操業を続けているようで
89年に精錬業務を終えた後は産業廃棄物のリサイクル事業を行っている。

とは言え、傍から見れば廃墟以外の何物でもない。

背後の斜面の上に、周辺の山々を禿山にした副産物である亜硫酸ガスを利用し
硫酸を製造するプラントが存在したようだが、既に解体され更地になっていた。

足尾を象徴する煙害ですっかり草木を失った上流の松木渓谷にかけて
「日本のグランドキャニオン」と銘打たれているようだが、
その出自はまったく異なり、日本版にはどうしようもないほどの負のイメージが付き纏う。

足尾銅山生協の深沢売店は、住民が激減しただろう今でも営業を続けていた。
好奇心ついでにアイスを買って一息つく。

と、友人が商店の隣に佇むCOSMOS(コスモス)に反応。
話を聞けば、どうやらかつてはよく目にした往年の玩具販売機らしい。
これは買うしかないでしょ、と硬貨投入!

ガチャン

ちゃんと出てきた!
中身はキャラ消しゴムだったが、子どもなんているのかしら。

山の向こう側は、日本の代表的な観光地「日光」
足尾と日光が背中合わせになっていることに、近代化の光と影を感じずにはいられない。

2011年に、深沢売店は火災で焼失してしまいました。

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