かつて、横浜市保土ヶ谷区に「カーリットの森」と呼ばれる場所があった。
カーリットとは、過塩素酸アンモニウムを主薬とした爆薬の一種で
ここには、その製造・開発を手掛ける日本カーリット保土ヶ谷工場があった。
事の発端は、小学生の頃から気になっていたバス路線。
地図に描かれたその路線は、片側一車線の道から分かれ住宅街の狭隘路となり
やがて「日本カーリット前」と書かれた停留所で途切れていた。
先に広がる工場の敷地を見て、幼心に「いったい何の工場だろう?」と気にはなったものの
インターネットも普及していない時代の話。
その正体が爆薬工場だと知ったのは、比較的最近になってからのことだ。
そのまま忘れていたが、引っ張り出した古地図を眺めていて再燃した。
今、どうなってるんだろう?
上記、狭隘路が始まる交差点までやってきた。
ちょうど相鉄バスが通過する右から手前に続く道が現行路線で
左へ分岐するのが、2000年4月に廃止になった日本カーリット線だ。
赤城工場への移転に伴い、保土ヶ谷工場が廃止されたのが1995年。
それから数年間は、和田町駅からの路線が存続していた。
もっとも、末期のダイヤは土曜平日1往復、日曜運休だったようだ。
右へ折れれば、すぐに旧日本カーリット保土ヶ谷工場正門前だ。
ここで、現役当時の地図を見てみたい。
解かりやすいよう、工場のものと思われる建屋を水色で塗ってみた。
さて、地図を見ると普通の工場とは明らかに作りが異なるのに気づく。
その性格上、民家から遠い場所に隠れるように設けられた工場の立地にも胸が熱くなるが
注目すべきは、建屋が誘爆防止の土塁と呼ばれる高い土盛で囲まれている点だ。
今回の訪問における何よりの関心事は
この土盛、いわゆる土塁は残されているか?
この一点に尽きる。
当時の航空写真を見ると、特徴的な構造の土塁と併せて工場を取り囲む広大な緩衝林の存在が見て取れる。
この緩衝林を含めた緑豊かな工場跡地が、後に「カーリットの森」と呼ばれることになった。
横浜中心部からさほど離れていないこの地に、これだけの面積を持つ
且つ、都市部では見ることが難しくなった動植物が残された森は貴重で
保全を訴えるカーリットの森を守る市民の会が活動しているようだ。
行く前からある程度予想はしていたが跡地はすっかり開発されていた。
跡地の大部分は、サンシティ横浜という立派な高齢者複合施設になっており
ここに工場があった面影を窺い知ることはできないと思われた。
画像検索をすると幾らか当時の画像がヒットしたが、もはやその面影はない。
旧正門周辺の痕跡が絶望的となれば、賭けるは最奥の土塁跡。
炎天下の暑さから一時離れ、木陰の道を進んでいると・・・
遺構発見!
工場の敷地境界を表すコンクリート塀(万年塀)が現れた。
危険区域
火気厳禁
立入禁止
赤地に白抜きの、畳み掛けるような四字熟語が胸を打つ。
左手から重機の音が聞こえ始め、掲示されていた現場標識を確認すると
残された工場跡地をたちばなの丘公園として整備していることを知った。
そして・・・!
ほとんど期待していなかった土塁は残されていた。
そして開発計画も、残された自然と土塁を活かした公園にするようで一安心。
近くに寄りたいけれど「ただちに警察に通報」の文字に阻まれ
何だか盗み撮りをしているような格好になってしまった。
こちらはコンクリート製。
ウィング部を鮮やかに彩るトラ縞が心をくすぐる。
地図によると、手前右あたりに敷地の東西を繋ぐトンネルがあったようだ。
ここから見る限りでは確認できないので向こう側に回ってみたいが
あちらの坑口は、完全にサンシティ横浜の敷地内。
ひとしきり逡巡した後、恥はかき捨てだよなと思い思い切って電話してみた。
「すみません・・・まったく関係のないことをお訊ねしたいのですが・・・」
と切り出すと、トンネルは老朽化が原因で埋め戻された事実が判明。
怪しい電話に丁寧に応対してくださり感謝です。
こちらは完全な更地になっており、何一つの痕跡も見出すことができなかった。
期待していなかったので、少ない収穫でも思いのほか楽しむことができた。
公園が開園したら、散歩ついでにまた訪れてみたい。
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